プロフィール

羽田 詩織 (Shiori Haneda)


長野市出身。

新潟大学教育人間科学部 芸術環境創造過程 音楽表現コース卒業。

在学時はピアノソロ以外にピアノ・アンサンブル(2台ピアノ)を学び、定期演奏会(選抜)に出演。

卒業後は長野県内の高等学校講師、幼稚園内のピアノ講師などを経験。

現在は市内楽器店のピアノ科講師を勤めながら、個人レッスンも行う。ピアノ指導歴10年。

演奏では主に合唱、声楽、打楽器、管楽器、弦楽器など様々な楽器の伴奏、アンサンブル演奏を中心に県内外で活動し、近年では自身での演奏会企画も行う。

大町市での「0歳からの小さな音楽会」メンバーとしても活動中。

学生時代の趣味はバンド活動(古いロックやソウルも好き!)、映画鑑賞。現在の趣味は山登りとアート鑑賞。

HISTORY

(長いですが、私のバックグラウンドと思いを綴っています。よろしければご覧ください)


〜ピアノを始めたきっかけ。とにかく弾くことが楽しい!〜

4歳の頃、幼稚園の先生が弾いているピアノの音を、耳コピして家のおもちゃで弾いたことから母親がびっくりし、習い始めることに。園内に併設されているピアノ教室で、優しい先生の下のびのび音楽に親しんでいきました。

家では父が趣味で買ったクラシックのCDを聴くのが好きで、両親は音楽の経験はなかったものの、楽譜やCDを買ってくれたり、コンサートに連れて行ってくれました。時折、音大付属の教室に移ったらどうかと先生に勧められたこともあったようでしたが、当時のレッスンが楽しかったために同じ教室に7年ほど通いました。途中で2回、先生が変わりましたが本当にどの先生も好きで、私も将来はピアノの先生になりたいと心の中で思うようになっていきました。


〜歌に燃える中学時代〜

歌うことが好きで、小学校から合唱団に入り、中学でも合唱部へ。特に中学は全国大会に出場経験もあるコンクールの強豪校。音楽面のみならず上下関係や礼節にも厳しかったですが、全国大会出場という目標に向かい、結果を出すために一貫した努力をし続けることの大切さを学びました。部活では女声合唱で毎年ほぼずっとコンクールの曲を歌っていたので、長野市のジュニアコーラスにも所属して混声合唱を楽しみました。

ピアノの練習はなかなか時間が取れませんでしたが、幻想即興曲や雨だれ、ノクターンなどショパンの曲を弾けることが嬉しく、楽しんで弾いていました。高校は音楽高校に行きたかったのですが、絶対に普通校に行っておいた方がいいと周囲の大人に諭され、公立の進学校に進むことになります。(この、人に流された決断で、後々後悔することに・・・)


〜必死な高校時代〜

ピアノの先生になりたい、という夢に進むため、いよいよ音大受験に向けてのレッスンがスタートします。ピアニスト兼、音大の先生のレッスンに通うことになりました。家での練習はハノン1時間弱、そこからバッハ平均律、エチュード、ソナタ・・・とこれまでにない膨大な量になり、例え国公立の音楽科を受けるにしても必要な勉強はするべきだ、という先生のお考えで、3年間のレッスンでおおよその音大ピアノ科で弾かれる受験曲を猛スピードでさらいました。ピアノ以外では声楽、楽典、ソルフェージュのレッスンにも通い、高いレベルの内容についていくのに必死でした。

先生はいつどんな時も、見本演奏をパリッと弾いてくださり、素晴らしく、同時に畏れ多い気持ちを抱きました。

ピアノが楽しいという気持ちは脇に置いて、とにかく先生の教えてくださる技術を習得しなければならない、合格しなければならない、先生に見放されてはならない・・と自分で勝手にプレッシャーをかけていたために、無事合格した後は短距離走を走り切った後のように息切れ(燃え尽き)を起こしていました。


〜暗黒の大学時代〜

燃え尽き症候群のまま入学した大学で、私はさらに大きなカルチャーショックを受けることとなります。それは、大学のピアノ専攻というところはとにかく実力主義ということ。当たり前ですが「本番」でしっかりと演奏ができることが成績となりますし、それを目指していく世界です。頑張ったから、努力したから、が評価されるわけではありません。

幼少期はただ楽しく自分の好きなように弾いていて、学生時代は舞台経験を踏まず受験用の練習しかしてこなかった私は、音楽の知識も乏しく、「音楽を深く理解し楽しむこと」も「本番で実力を出すこと」もできていなかったのです。何のためにピアノを弾くのか、いい演奏って何なのか、さっぱり分からなくなってしまいました。

そしてだんだんと心身の不調に悩まされるようになりました。自分はなんてダメなんだろうという考えから前向きに勉強することができなくなり、ステージが怖くなり、本番では演奏が崩れてさらに恐怖を感じる。そんな自分をさらに責める・・の悪循環が起き、3年次にはとうとう鬱病を発症することとなります。人生で一番苦しい時期でした。毎日普通に生活するだけが精一杯。体調不良で学校に行くのもやっとな日々が続きました。それでも2台ピアノでオーディションに受かり卒業試験免除となったり、ヤマハの指導グレードを取ったり、教員免許を取ったりなどできる限りはやりましたが、私の中では不完全燃焼感と挫折感がうっすら残る大学生活でした。


〜音楽の楽しさを取り戻そう〜

そのような挫折状態だったので「ピアノの先生」は私には無理だろうと諦めて、高校の音楽講師となりました。

高校生たちは眩しいくらいに素直で、音楽の授業を楽しんでくれて、たくさんのエネルギーをもらいました。おかげで体調は徐々に快方に。そんな中「音楽の進路に進みたいが迷っている」という相談を生徒から受けたことがありました。私はその生徒に100%「進んだらいいよ」とも「進まない方がいいよ」とも答えられず、世間一般のありきたりな意見しか言えませんでした。なぜなら、自分が自分の生き方に納得をしていないから。好きだったピアノを自分で苦しいものにして、なりたかったピアノの先生を諦めて、何となくいつも嫌な自分を抱えていて・・・そんな状態じゃ、この子達に音楽は教えられても教師として伝えられるものはないだろうと。その気づきがあって、「もう一度心からピアノを弾くことを楽しめるようになりたい」「物事を自分の言葉で伝えられる人になりたい」「どうせ苦労する人生なら好きなことをやって苦労しよう」と一念発起。教員は辞めてピアノ講師になりました。

それからコンプレックスだった演奏面では奏法を学び直したり、さまざまな人との出会いや定期的に演奏する機会があったおかげで、徐々に人前での演奏に対するマイナスなイメージが薄れていきました。

演奏の機会がこれまで少なかったので、これから増やして学んでいけば良いじゃない、と今は思っています。弾きたい曲も今はたくさんあり、人生の時間が足りないと思うほど。

指導の面ではやっぱり元々興味があることなので勉強やセミナーも面白く、悩みながらも日々学んでいます。


〜今思うこと〜

私が自分を責めてしまったことの中に

「ただただ楽しく弾いてきただけで、ちゃんとやってこなかったのではないか」

「他の人たちみたいに子供の頃からコンクールにバンバン出たり、結果を出してこなかった」

「本番であがってしまって上手く弾けないから自分は下手でダメなんだ」

という思いがあり、それが長く自分を苦しめてきましたが、でも果たしてそれって本当なの?ということです。


幼少期、学童期に感じた「ただただ楽しい」ことこそ本質ではないでしょうか。

「ちゃんと」って何でしょう?

結果を出すってどういうことでしょう?

他人の評価に自分の全てを委ねて良いのですか?

本番で上手く弾けなかったらピアノが下手なんですか?


ピアノは上手く弾ける時もあれば弾けない時もある。

楽しい時もあれば楽しくない時もある。

それでいいと思います。続けていれば。

そうして続けていく中で自分に足りないものがあると気がついた時、「もっとこうなりたい」という理想を持った時、本当の学びが始まるのと思います。


運よく?ピアノと出会った生徒さんには、長い人生を音楽と共に生きて、豊かな人生を送ってほしいと願っています。そして悩んだことや時には苦しいことも、これまで努力したり乗り越えた経験を持って、自分で自分の生き方を見つけられる人になってほしいです。


ご縁があって出会った生徒さん。今ではありがたいことに本当に長く続けてくださる方ばかりです。

本当に毎日が感謝と喜びでいっぱいです。ピアノの楽しさ、厳しさの両方を教えてくださった先生方にも。

私はピアノを習い、続けてきて良かったと心から思っています。